テレビドラマの始まり(ふつうエッセイ #205)

首都圏以外の電車は分からないが、新しいテレビドラマが始まる時期に、電車広告で新ドラマのポスターが掲示される。

ポスターのビジュアルは強烈だ。瞬間を切り取る静止画にも関わらず「どんなドラマなのだろう?」と観るものの関心を引く効果がある。

それでも、実際に視聴する人は限られる。「電車」という待機時間が長い装置にも関わらず、だいたいがドラマの存在を忘れてしまう。情報社会なので仕方がないものの、「こんなによくできたポスターなのにな」ともったいなさを感じてしまう。

多数が離脱してしまう前に、ポスターを観た瞬間からドラマが観れるようになったら良いのではないだろうか。ドラマは夜21時〜放送されるものだけど、思い切ってドラマの第1話を電車きっかけで観れてしまう仕掛けに。全編が難しければ、エピソードゼロという形でも良い。何かしら関心を持ち、もっと観たいと感じさせるフックを与えられやしないだろうか。(予告編程度の長さだと特別感がなく不十分だ)

始まりは、スタートラインが同じものだという前提がある。

だけど、特に競争というわけでもないのだから、始まりのタイミングを各々決められるようにしたって悪くない。週刊少年ジャンプだって、読者はそれぞれのタイミングで購入し、読み始める。月曜日の朝イチに購入する人もいれば、休みに入る土曜日に購入する人もいる。スタートはそれぞれだ。

もちろんリアルタイム(いまは「リアタイ」と呼ぶらしい)で視聴することで、同時間帯で観ているもの同士の熱狂を共有できるというのもまた事実だ。

企画者は、もういちど本質に立ち返って良い。

どんな仕掛けでエンターテインさせてくれるか、いち視聴者として、これからも楽しみにしたい。