【きっと両想い】文化人類学(小波季世さん #3)

「寛容」の本当の意味を知った日

異文化に寛容たれ。

文化人類学ではそう学ぶ。どんなに自分にとって理解のできない「野蛮」な風習ややり方でも、そこには「彼・彼女ら」なりの歴史や受け継がれてきた文脈がある。「自分にとって理解のできないもの」=「悪」と決めつけることほど醜いことはない。

異文化を「受け容れる」ことはできずとも、まず「受け止めよ」。それが文化人類学の教えだ。

調査手法の基本はフィールドワーク。長期に渡ってフィールドに滞在し、そこでどんな営みが行われているかをつぶさに観察する。「参与観察」と呼ばれる手法だ。

外の人間でありながら内の人間であるかのように、しかしフィールドに染まり切らない研究者としての目線を持ち、異文化を理解しようとする。それが基本。必然、インタビューも多く行う。

文化人類学研究室の教授陣は、学部1年生向けに「文化人類学研究室を訪ね、そこにいる先輩にインタビューせよ」という課題を出していた。

*

そこである日、事件が起きた。

当時わたしはすでに研究室に所属していたので、3年生か4年生だったと思う。あろうことかわたしは、あるキーワードがひっかかり、インタビューに訪れた1年生を激詰めして帰すという失態を犯したのだった。

そのキーワードとは「役に立つかどうか」。「役に立つ」とはそもそも何か?何をもってその質問をしているのか?等々……。

そして彼女が去った後、わたしは研究室にいた同期に強く諫められることになる。

「……あれはちょっとひどくない?季世は本当に文化人類学を研究してるの?季世って全っ然寛容じゃないよね」

どんなビンタよりも痛い、ずしりと脳天に響く一言だった。わたしはしどろもどろになりながら研究室を去り、キャンパスの隅っこのベンチで号泣した。

自分の愚かさと浅はかさと不寛容さが悔しかった。同時に、「わたしだって言いたいことはある」とも思った。きっと当時は「普通はこう考える」「『役に立つ』とはこういうことだ」という何かにひどく傷ついていたのだと思う。

しかし、経緯はどうあれ、わたしが文化人類学の何たるかをしっかり理解していなかったことはあきらかだった。価値観を押しつけられることが何よりも嫌いなわたしが、誰よりも価値観を押しつけていた。

*

この時の痛みは今でも胸に刻まれている。自分の「正義」をかざして誰かを傷つけたこと、誰かに理解してもらいたいのに理解されず傷ついたこと。そこにいたるまでのすべて。

……ちなみにこの話には後日談がある。わたしが激詰めしてしまったその1年生は挫けることなく文化人類学専攻になった。ありがたいことに、彼女の卒論添削をさせてもらったり、卒業後も一緒に活動をしたりと縁は続いている。彼女の寛容さにひたすら感謝するしかない。

(飲み会の席などで「あの二人が今こうなるなんてなあ」と恩師に言われるたび、恥ずかしくて穴があったら入りたい気分になる……。)

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