良いやつと、いやなやつ(ふつうエッセイ #188)

良いやつの対義語は、いやなやつだ。

悪いやつでは、反対の意味にならない。

英訳の場合はgood guyに対してbad guyが正しそうなので、良し悪し(善し悪し)の捉え方というのは日米で違いがあるのだろう。なるほど、興味深い。

*

それはさておき、「あいつは良いやつだ」と「あいつはいやなやつだ」には、容易には埋めれない大きなギャップが存在している。

「どちらかといえば、いやなやつなんだよね」といったグラデーションは存在しない。いやなやつというのは、とにかく、いやなやつなのだ。

仕事において、いやなやつの取り扱いには細心の注意を払わねばならない。いやなやつというのは、悪意への自覚がない場合が多い。なので、こちらが自衛しなければ、ストレスに苦しめられてしまう。

僕が思うに、いやなやつは3種類に分けられる。

・まじで仕事ができるやつ
・そこそこの仕事ぶりなのに仕事ができるっぽく見えるやつ
・完全にはったりで仕事をしているやつ

「まじで仕事ができるやつ(だけど、いやなやつ)」は、ぐうの音も出ないほど仕事で成果をあげる。彼の凄みの前にひれ伏すことしかできない。むしろ彼と仕事ができるのは僥倖であり、自らも研鑽に励むしかない。

「完全にはったりで仕事をしているやつ(だけど、いやなやつ)」は、いずれボロが出るタイプだ。既に出ているかもしれず、俯瞰してみると、誰も彼に信頼を寄せていないなんてことがある。彼の存在に苦しむ必要は全くなく、自分の仕事に邁進していれば良い。

一緒に仕事をしていると「いやなやつ」のネガティブさが表出してしまいがちだが、俯瞰してみると、誰も彼に信頼を寄せていないなんてことがある。だから、気にしなくても良い。

「そこそこの仕事ぶりなのに仕事ができるっぽく見えるやつ(だけど、いやなやつ)」への対処法は、厄介だ。彼の言っていることには一理ある。彼の専門性は限定的だが、それなりの正しさは認めなければならない。しかし彼のキャラクターや仕事ぶりには、どうしても納得や共感を抱くことができない。にも関わらず、最終の意思決定者は彼のことを信頼していたりする。彼のことで溜まったストレスは、やがて自己嫌悪に至ってしまう。

*

僕自身も、長らく、彼への対処法に悩んでいた。

今も、これといった正解を持ち合わせているわけではない。

だが建設的な対応を取るのであれば、自分がひたすら研鑽を積むしかないように思う。「言わせねーよ」というお笑い芸人のネタがあるが、そのレベルの高みまで自分を持っていくしかない。

彼とは専門分野が異なる場合もある。だけど、専門分野は違えど、知識や経験が習熟するにつれ、専門性を超えたレイヤーでのディスカッションが求められることが出てくる。彼が専門性というレイヤーのみにしがみついているのであれば、そのレベルを凌駕すればいい。

bad guyに対して、もやもやとストレスを感じる必要はない。

アドラーは言う。「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない」と。

他人を変えようなんて、傲慢なことだ。自分をみすみすbad guyに仕立て上げるようなものだ。

コントロールできないことは、気にしなくて良い。

「ふつう」に、自分の仕事を真摯にやろう。「しっかりやれた」という実感だけが、自分にできる唯一のことなのだから。