テレビを観ながら飯が食えるか(ふつうエッセイ #170)

ご飯を食べるときは、テレビを観ない。

厳しくしつけられたわけではないけれど、食事中にテレビを観ないという習慣が自然と身についていた。「ドラえもん」が放送されるときは、それまでに夕飯を済ませておく。両親は共働きだったけれど、大事な習慣を作ってくれて感謝しかない。

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ただ、残念なことに日常生活で「テレビ」の存在感は際立っている。

昨日久しぶりに外食したときに、初見のラーメン屋さんの門を叩いた。なかなか面構えの良い大将に思えたが、店にテレビを置いている。

がっかりだった。

いやもちろん、それだけで幻滅する筋合いはないの。それは百も承知なのだが、楽しみにしていたラーメンの味も減じたように感じた。大将も、ラーメンを作り終えたらテレビを観ている。カーリング日本代表の熱狂すらも共感できない僕は、カーリング日本代表の声掛けの微笑ましさなど興味を持てない。そういう負の感情が重なり、ますますラーメン屋に僕の居場所がないように感じてしまう。

逃げるように店を出た。もちろん、リピートするつもりはない。

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直接言えば良かっただろうか。

テレビを観ながら、ラーメンなんか食えるか!と。

いや、言えない。

言う理由もないし、権利もない。

個人の価値観を、客という立場を利用して押し付けようとしている。

モンスタークライアント、略してモンクだ。(文句?)

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中には、テレビが観たくて店を訪ねる人もいるだろう。

午前中たっぷり仕事をして、少しだけリラックスしたい。話のネタにもなるワイドショーは適任だ。長く経営していけば、食事しながらテレビを楽しみたいというお客さんが集まってくるのだろう。お店にとっても、悪いことではない。

でもなあ、と僕は思う。

大将、それで良いんですか?と。

大将が、テレビ観たいだけなんじゃないですか?と。

別に良いじゃないかとも思う。ラーメン屋さんは重労働だ。ずっと立って仕事しなくちゃいけないし、なんてたった客商売は気を遣う。だからラーメンを作っていないときはテレビを観たって構わない。それは正論だ。なにも僕はストイックであるべき、と言っているわけじゃない。テレビを観ていたからとて、ラーメンの味はそれほど変わるわけではない。(それくらいで味が変わるようなら修行が足りない)

でも、それはお店のロジックだ。

少なくとも「ラーメン食べながらテレビなんて観たくない」という人にとって、テレビはノイズでしかない。実際、僕はろくにラーメンの味なんて分からなかった。

大将、テレビやめませんか?

せめてラジオとかにしましょうよ。

ラーメンは味だけじゃない。視覚からも「美味しさ」を感じるのだから。