人間は「忘れる」ことができる生き物だ。
「忘れる」の対義語は「覚える」である。だからこそ余計に、忘れることはネガティブだと見做されやすい。
しかし認知心理学の専門家・川口潤さんは別の見方をしている。忘れるということは、記憶の更新機能を持っていることだという。嫌なことや辛いことをずっと正確に記憶していると、致命的なダメージをずっと引きずったままになる。細部を忘れ、記憶を少しずつ修正することで、致命的なダメージを緩和させることができるということだろう。
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このこと自体は、特に真新しい話でもない。
いまやビジネスでも認知科学は一般的なものになり、忘れることを前提とした組織運営やサービス設計がなされていることが殆どだ。
だからこそ問いたいのは、忘れないためにはどうしたら良いのだろうか。
世の中には、忘れてはいけないものが溢れている。場合によっては自分だけでなく、後世まで語り継がなければと思うものもある。愚かな歴史を繰り返してきた人間が、最も愚かな行為として挙げられるのは戦争である。これほど人権を蹂躙するものも珍しいが、戦争(あるいは武力紛争)がなくなる兆しはない。
公害も同様に、忘れてはならないものだ。
利権を狙う少数の人間によって、狡猾なロジックが組まれる。いっけん正しそうに見える(あるいは間違っているようには見えない)ロジックによって組まれた施策が、市井の人たちにダメージを与えてしまう。
昨年観た映画「MINAMATA」は、その苦しみが未だに消えていないことを静かに伝えている。愛する家族が、国や企業によって永遠の苦しみをもたらされるという怒りは、自らに置き換えると、震えるほどに腹立たしい。
だが怒りは、持ち続けるにはエネルギーがかかりすぎる。
一時的な共感は得られるかもしれないが、長い間、怒り続けていると他人は離れていってしまう。「まだやってるのか」と。「まだやってるのか」という状態を作り出したのは、自分ではないにも関わらず。
怒りと距離を置き、忘れるべきでないことを「忘れない」ことはできるだろうか。
答えは、全く持ち合わせていない。ただただ、祈るように問い続けている。