筋肉痛という勲章(ふつうエッセイ #126)

普段使っていない箇所の筋肉を使うと、翌日もしくは翌々日に筋肉痛になる。

該当部位を動かすたびに、ひりひりと軋むような痛みが伴う。老いも若きも等しく生じる筋肉痛は、どこか人類進化の限界を示唆するような趣きがある。

負荷をかければかけるほど、筋肉痛は後を引く。

中学や高校でスポーツ系の部活動に所属していた時分は、「筋肉痛になるのは鍛えられている証拠だ!」と嬉しくなったもの。しかし今となっては、仕事や生活に支障が出る「厄介なやつ」に成り下がっている。

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ところが、筋肉痛が「勲章」としての立ち位置を取り戻すこともある。

2015年、北海道の北見市、湧別町、佐呂間町を横断して行なわれるサロマ湖100kmウルトラマラソンに参加した。想像に難くないと思うが、なかなか過酷な1日を強いられる。

なんとか制限時間ギリギリにゴールできたものの、満身創痍、全身が痛みによる悲鳴をあげていた。そして案の定、翌日にひどい筋肉痛に苦しむこととなった。

まず、起きられないのだ。

身体のありとあらゆるところが筋肉痛となり、身体を地面に立たせることが苦行となる。そんなことだからトイレに行くのも、ひと苦労。階段の昇降などは、もっての外だ。

マラソンは日曜日で、月曜日は有給。火曜日から仕事に復帰したが、金曜日まで筋肉痛が抜けなかった。

身体を引きずりながらの姿は、ハタから見たらさぞかし哀れだったように思う。

だけど、周囲の反応は予想と違っていた。「どうしたの?」と問われるたびに事情を語るのだが、ほぼ全ての人たちから「すごいね!」と賞賛されたからだ。

仕事だって、こんなに褒められることはない。

もちろん自分のために走ったのだが、このときばかりは筋肉痛が誇らしかった。多少、あの苦行が報われた気がしたものだ。

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全身が筋肉痛で何をするにも苦労したのだが、ひとつだけ通常通りだったことがある。

運転だ。

宿泊先のホテルから、新千歳空港まで300km以上の道のりを走る必要があったのだが、運転するにあたって筋肉痛は何の支障もなかった。

自動車って、なかなか上手くできているんですね。けっこう感動しちゃった記憶があります。