ラジオの声(ふつうエッセイ #430)

友人の遠又香さんが、TBSラジオ「アシタノカレッジ」に出演していた。

「アシタノカレッジ」は、普段から聴いているラジオだ。聴き慣れた声のパーソナリティとのセッションで、彼女が自らの声を発している。20分ほどの短い時間だったが、彼女の誠実さは十分伝わったように思う。

ラジオは、声だけのメディアだ。

BGMや音楽も鳴るけれど、基本的には、ひとからひとへ声を伝えるメディアである。

ラジオを長く聴いていると、「ゲストが緊張しているな」とか、「かなりノって喋ってるな」とか、「お互いがあんまり噛み合ってないな」とか、ちょっとした違和感も抱くことがある。それも含めて、ラジオは楽しい。テレビの編集のように、あっちこっちを切り貼りすることがない、いわゆる「撮って出し」感が強い。

そもそも、声を加工することは難しい。

ノイズを除去するなどテクニカルな対応は可能だ。しかし、やり過ぎてしまうと、その人の良さを剥ぎ取ってしまうことになりかねない。テレビであれば、ちょっとした言い間違いは字幕やテロップで補正することができる。声と文字の不一致も、受け手の脳内で補正した側に自然と変換されていく。

ラジオは、それができない。

できないからこそ、違和感は違和感のまま伝わっていく。だけど誠意ある言葉は、きちんとリスナーへと伝わっていく。

テレビの場合、観る人を視聴者という。視て聴く人だ。

ラジオの場合は、リスナーという。聴く人のことだ。僕はこの言葉に、とても真摯な態度を想像する。「ながら」で聴いている人もいるけれど、ふとしたときに、耳を澄ませるように、パーソナリティの声を聴く。深く聴く。

その態度には、相手を信頼したいという想いがちゃんと存在する。

ラジオの声は、ひととひとを繋ぐ、大切なきっかけになる。普段はSNSなどで遠又さんの発信を「見る」ことが多いけれど、久しぶりに遠又さんの声を「聴く」ことができた。良い声だなあと思った。それだけで、ラジオを聴いて良かったと思えたのだ。