アートとの付き合い(ふつうエッセイ #41)

オークションのときに細断されたバンクシー作品が、29億円で落札されたという報道を見た。バンクシー作品としては過去最高額だという。

「Girl with Balloon(風船と少女)」だった作品が、2018年10月のオークションで細断されてしまった。これはバンクシーさんの純粋な意図だったという説もあれば、バンクシーさんと競売大手サザビーズの共謀だったという説もある。(ちなみに細断された結果、この作品は「Love is in the Bin(愛はごみ箱の中に)」に名前が変更されたらしい)

僕はバンクシーさんのファンで、企画展にも足を運んだことがある。

多義的な解釈が可能なクレバーさもインスピレーションを掻き立てられる思いがする。

この作品が「でっち上げ」なのかはさておき、こういった「表現」で価値付けされるのも多少は理解できる。ただやっぱり思うのは、29億円という価格の妥当性だ。現代アートは時々、こういった評価が下される。理解に苦しむ人間は僕だけではないはずだ。

良いものを作って、それが正当に評価される。

それが「ふつう」なのではないかと思うけれど、周囲がバタバタと過剰な価値付けを試み、(アートの場合)実際にその作為に乗る(購入する)ということが起こる。もうちょっと引いた目で見れば、それは現在の格差社会をも象徴していて。富を持つものが何としてもバンクシー作品を手に入れようとする「滑稽さ」に映るのだが、それは人の好き好きなのだろう。批判したとて、購入者にとっては屁でもない。

のんびりと美術館で良い作品を鑑賞する。

若いアーティストの個展に足を運び、気に入った作品があれば(+予算が合うなら)思い切って購入してみる。

これからも僕は、アートと良い付き合いをしていきたい。