正月飾り(ふつうエッセイ #121)

ひとけのない正月の東京、息子とともに近所を散歩する。

どちらからともなく、家の外にある門松やしめ飾りを発見して、どちらが多く見つけることができるか勝負を始めた。いつもより長い時間を歩いたので、昨夜はぐっすり眠ることができた。

信心深さがないためか、それまで意識していなかったが、歩けば歩くほど「正月飾り」を見つけることができた。どの家でも「正月を祝おう」という前向きな姿勢を表明しているんだなあと感じた。

神様なのか仏様なのか分からないけれど、これだけ正月を祝おうとする人たちがいるのであれば、「しゃーない、みんなにとって良き年になるようにしてやるか」という気分になってくださいよと愚痴も言いたくなる。きっと今年もしばらくはコロナ禍の影響を受けるわけで。少しは皆さんにとって恵みの多い1年であってほしいと思うのだけど。

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ちなみにこれをどうやって保管しているんだろう?と思って調べたら、左義長とよばれるお祭りなどで、焼いて処分するんですね。(全く知りませんでした)

つまり僕と息子が見つけ続けた正月飾りは、昨年購入された新しいものなんだなと。正月飾りを購入する人がいるということは、正月飾りを売る人がいるわけで。売る側の立場に立てば、毎年買い替えてもらった方が「商売」にはなりますね。新年から嫌な言い方ですが。

ただどちらが良いのだろう。1年に1回しか使わないクリスマスツリーだって、あんなに大きなものを保管するためのコストはそれなりだ。保管コストと比較するなら、毎年、気分に応じて新しい正月飾りを手に入れた方が合理的かもしれないですね。

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今日か明日から、仕事始めの方も多いと思います。ほどほどにがんばっていきましょう!