奢る(ふつうエッセイ #97)

今日コンビニで会計待ちをしていたら、前のお客さんが「たまには昼飯くらい奢るよ」と言っていた。工事現場のおっちゃん、若者に対して気前が良い。

奢る、奢らないについては、昨今「貸し借り」という文脈から必ずしもポジティブには語られない。さらにジェンダーが絡んでくると「男性は女性に奢るもの」または「女性は男性に奢られるべきではない」といった価値観の対立に巻き込まれてしまう。

だけど、今日のおっちゃんの振る舞いは、傍目から見ていてとても気持ち良いものだった。カラッとしていて、「奢ったんだから仕事ちゃんとやれよ」みたいな醜い意図は微塵も感じられない。

良い格好しい、と言えなくもないけれど、僕にはカッコ良く映った。

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ごちゃごちゃ細かいことを考えず、飯を奢る。

12月9日にNetflixで公開された映画「浅草キッド」で、大泉洋さん演じる深見千三郎が、柳楽優弥さん演じるビートたけしにご飯を奢るシーンが描かれている。まだビートたけしは漫才コンビを組んでおらず、師匠である深見のもとで、下積み生活をせっせと送っていた頃だ。

当然たけしはお金がなく、日々空腹がデフォルトで暮らしている。

先輩芸人が飯を奢ってくれるのは、有難いことだっただろう。

だが師匠である深見の生活も苦しい。テレビの台頭により、主戦場にしていた劇場の売上が激減していたのだ。借金しながら生計を立てざるを得なくなっている。

なのに、深見は見栄を張る。妻からなけなしの小遣いを与えられ、直後に、弟子のたけしに飯を奢るのだ。

深見を「バカだなあ」と蔑む人もいるだろうが、そあまり豊かな視点だとは言えない。

師匠と弟子の関係は、僕らが思っている以上に深い絆で結ばれている。深見は、つまるところ、弟子に筋を通したということなのだ。

師匠は弟子に、あらゆることを与え続けなければならない。与え続けなければ、弟子は育たないのだ。

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おっちゃんと若者の関係を、深見とたけしの関係と同じだとは言わないけれど、デジャヴのように感じたのは確かだ。

若者も飯を食い、そして仕事を現場で覚えていく。

一人前になるまで、もうちょっと時間はかかるだろう。だけどきっと、おっちゃんが背中で仕事を教えてくれるはずだ。良い関係だなあと、勝手に想像してしまう。

もっとも……

「奢る」ということに関して、つらつらと駄文をこねてきた。そのこと自体、野暮で芸なきことだ。深見が今も存命であったなら、真っ先に叱り飛ばしていただろう。