選ぶと選ばれる(ふつうエッセイ #94)

昨日の「バチェラー・ジャパン」とも重なるところがあるが、選ぶと選ばれるの関係について考えてみる。

人生のあらゆる場面で「選択肢(選ぶ)」が開かれているが、一方で「被選択肢(選ばれる)」も同じくらいある。同じくらいある、というか、選択肢と被選択肢は同時発生的に存在していると言っていい。

企業との面接は、求職者にとっては「どこで働くか」を選ぶものでもあり、企業によって選ばれるものもである。

コンペで仕事を受注できるか、という話においても、コンペ参加者がそもそもコンペに参加するかどうかは自由意志だし、その成果がコンペで選ばれるかという結果にも繋がる。

人生のパートナーは選ぶだけでなく選ばれないといけない。選ばれている立場であっても、自らが選ぶ決心をしなければ両想いにはならない。

僕はいま、炭酸水を飲んでいる。数ある飲料の中から選んでいる。日本ではありがたいことに飲料から「選ばれない」というケースは滅多にないが、それでも金銭的な理由だったり場所の制約だったりで、飲料にありつけないというケースも存在可能性がある。

選ぶ、選ばれるは公平なものだが、感覚として不公平だなと感じることもある。

人事採用の仕事をしていて、気を許せる間柄になった求職者から「全然仕事が決まらないんです」と相談を受けることもある。高圧的な態度の面接官も中にはいるようで、眼前で涙を流す人も、ひとりやふたりではなかった。

かくいう僕も、創業したばかりで何の実績もない。

有難いことに良い取引先に恵まれており、不遇な扱いを受けることはあまりないが、それでも時々「あ、だいぶ下に見られているな」と感じることもある。そのお客さんのポテンシャルが高い場合もあるけれど、人間と人間の付き合いをまともにできない相手と仕事はしたくない。

無い袖は振れないので、現実を直視すべきことも多いのだけど。でもちゃんと心に余裕を持ちながら、良い仕事ができる関係をたくさん作っていけると良いなと思う。選び、選ばれる。公平にね。