サブスクの凄み(ふつうエッセイ #93)

音楽や映画をサブスクリプションサービスで視聴するのが「ふつう」になった。

それを実感するのは恋愛リアリティ番組「バチェラー・ジャパン」の話題があらゆるところで聞かれるということ。もちろん僕が視聴していることで「流行っている」ような感覚になっていることは否めないが、普段聴いているラジオでも「バチェラー・ジャパン」が取り上げられているので、多少の盛り上がりはあるのではないかと推察している。

「バチェラー・ジャパン」は、Amazon Prime Videoの有料会員でないと視聴できない。つまり視聴者は、サブスクリプションに登録しているということだ。

リアルタイム視聴が前提となるテレビと違って、サブスクリプションの番組は、好きなときに視聴できるというメリットがある。今回の「バチェラー・ジャパン」は毎週木曜日22時〜配信開始されているのだが、翌日、早朝から仕事がある人は無理する必要はない。仕事の休憩時間に視聴することもできるし、仕事終わりにゆっくり観ることもできる。それが「ふつう」なのだ。

まあ、すごいなと思う。

所有するわけではないものに対して、「お金を払う」という行為が「ふつう」になりつつあることに、だ。

事業者もポテンシャルがあるから、かなりの予算をかけて事業にフォーカスしているのだろう。でなければ、ここまで急速に、人間の消費行動が変容することはない。

毎月一定の額が、クレジットカードを経由して、支払いが行なわれている。中には「一度も視聴しない」で、お金だけ払われていることもあるだろう。消費者目線に立てば、その辺りの線引きは自覚的であるべきだと思う。

「ふつう」が「ふつう」になるには、ある程度の時間がかかるものだ。

そのプロセスは、過去の「ふつう」に慣れていた人にとっては痛みを伴うこともあるわけで、新しい「ふつう」への移行には、えてして慎重だった気がする。

サブスクの凄みを感じつつ、恐ろしさも感じる。

世の中が変わっていく。流れを、ちゃんと見極めていたい。