大根がダメになっても。(ふつうエッセイ #653)

大根をダメにしてしまった話。

煮付けにしようと思い、大根をカットしていたのだが、諸事情あって調理を後回しにした。「すぐに作ろう」と思い、タッパーに入れてしばらくしていたら(1週間くらいか)、タッパーの中で大根がダメになっていた。

無駄にしてしまったというショックもありつつ、原因を考えてみた。

同じ時期に購入した大根は、真ん中で切っていたものの、冷蔵庫の中でしっかりと生きている。ということは、大根にそれなりに手を入れたこと、空気に触れたこと、手に付着していた汚れなどが作用したこと、そのあたりが原因となってダメになってしまったのだろう。

これは、僕の中でふむふむと示唆深い出来事として心に残った。

手がつけられていないもの。それは例えば自然とか、そういったものが挙げられるだろう。もちろん、全く手つかずの自然など、もはや存在しないかもしれない。でも人間と自然の共生という意味で、大事に、大事に、育てられなければならないだろう。

だが、そこに土足でズカズカと入り込むように開発が進んでしまうと、自然は、非常に凄惨な状況になってしまうだろう。むしろ「商売」として捉えるならば、ズカズカと開発した方が利益になるわけで。しかしその合理的な判断をすると、ダメになった大根さながら、自然は取り返しのつかない事態になる。

かくも、合理的とは脆い言葉だ。

フードロスに反した行動をしてしまった自分自身は猛省しつつ。明日の我が道は、ひとつの「合理的判断」にとらわれず、視野を広くのぞみたいと思うのだ。