スマトラ島(ふつうエッセイ #650)

ミミズが好き。そんな珍妙な人は少数派だろう。

しかし昆虫が好きな長男にとって、にょろにょろと動くミミズも例外なく好奇心の範疇にあるようで。しかも昨年あたりから手で掴めることもできるようにもなって、ミミズを発見するたびに「あ!ミミズ!」とつまむようになった。

真夏、コンクリートで干からびているミミズをよく見かけるだろう。「ああ、コンクリートが熱いから死んじゃうんだよねえ」と僕が漏らしたところ、長男のミミズ救出作戦が始まった。

朝方、コンクリートに這い出してきたミミズを、つまんでは草むらにひょいっと投げる。実家のそばに、まさにミミズ地帯といった場所がある。草むらからコンクリートへ這い出てきたミミズをせっせとつまんでは、草むらにひょいっと投げる。彼なりに、命を助けようと努めているのだ。

なかなか良い心掛けだが、当然近所の人たちは「なにごとか?」と心配そうに尋ねてくる。

一応、大人の僕が事情を説明をする。

5歳の子どもが、健気にミミズの命を守ろうとしている。ミミズを気味悪がっていた大人も感心して目を細めるのだが、これが成人男性だったとしたらどうなんだろうか。

おそらく、そういった大人は存在する。そこに色々な理由があると思うけれど、周囲は、そんな大人を見て同じように目を細めるだろうか。同族嫌悪なのか分からないが、たぶん近寄らないだろう。なぜだろうか、と思ってしまう。

思ってしまう、と書いたけれど、僕だって見ず知らずの大人がミミズをひょいひょい投げていたら、「ん?」と眉をひそめてしまうのではないか。いや、正直に言おう。絶対に近寄りたくない。

でも例えば、誕生日にハメを外した20代が「今日は主役」のタスキをかけるように、「虫の調査をしています」というタスキをかけていれば、見方は変わるのではないだろうか。そこに権威のお墨付きがなかったとしても、「調査」という言葉の奥深さに神妙になり、「まあ、調査ならしゃーないわな」という感じで心を落ち着けられる気がする。

あくまで以上は推論であり、いくらタスキをかけていても神妙な面持ちをされるかもしれないのだが、でも、「調査」という名目ならミミズいじりも許容されるような感覚は持てる。

息子は夕食時に、「スマトラ島に行きたい!」と言い出した。インドネシアで珍しい昆虫を見つけたいのだという。

周りの大人は「スマトラ島ってどこにあるの?」なんてはぐらかしたけれど、できることなら一緒に行ってあげたいなと思う。来年か、再来年か。彼の興味が消えないうちに。スマトラ島でも中南米でも、良い経験をさせてあげたい。

お金はかかるけれど、思い出はプライスレス。あれだけミミズに夢中になれるのだから、スマトラ島は楽しくてたまらない場所になるはずだ。

いざ、スマトラ島。

それまでに父ちゃん、しっかり稼ぐぞと誓うのであった。