誤変換(ふつうエッセイ #227)

さいしんのちゅういをはらいたい
と変換したら、
一発で、
細心の注意を払いたい
と出てきてほしい。
最新でもないし、
腹痛いでもないんだよ
なあ。

なんて、相田みつをさんのような詩を書きたいわけではない。

単なる苦情というか、愚痴だ。

機器の性能もここ数年でグンと上がり、全体的に誤変換は少なくなってきた。けれど、文章をたくさん書く身としては、1日に数回は誤変換に苦しむことは免れない。

誤変換に加え、キーボードのタイプミス。

タイプミスはもちろん僕のミスなんだけれど、5年も使っていると、エンターキーが作動しないときもある。

買い替えの時期かなあとも思うが、MacBook自体はピンピンしているので(12インチのMacBookというレアな筐体で、それもちょうど良く感じているのだ)、買い替えの踏ん切りもつかない。

おっと、誤変換とタイプミスは違う話だ。

こういう思考のバグというか、もともと書きたいことの路線変更が無意識で行なわれるのはなぜなんだろう?とか思ったりする。

ポジティブな表現で「偶発性」なんて言うこともできるけれど、ちゃんと人様に伝わるような文章を書く上で、ぽんこつな偶発性は迷惑でしかない。

まあ、そういうちょっとしたエラーやバグを受け入れられるのも、寛容であるかを試されているような気もしている。

結局は、

頑張るか
どうか
なんだよなあ。

って、また詩に舞い戻った。

なるほど、詩とは、こんな気分を持続させるために、脈々と続いているのかもしれない。なあ。