安さという錯覚(ふつうエッセイ #196)

街を歩いていたら、2kgの米が街頭販売されていた。

2kgで1,760円の米が、今なら500円で買えるという。実に70%以上の割引率である。

その表示を見て「おお、お得じゃないか!」という思いが過ったが、めちゃくちゃ安いわけでもないと気付く。5kg換算すると1,250円なので安い価格帯ではあるのだが「おお!」という感じではない。そもそも、売られているのがどんな米なのか、ちゃんと理解していないのも危ういこと。

なんで、安いと思ったのか。もともとの1,760円が妥当な価格ではないのでは?と最初に気付けなかったのはなぜだろう?と思ってしまった。

数字にとらわれている。

だからこそ、数字のトリックに引っかかるのだ。

物事の価値を、個人の審美眼で頼るのは難しい。値段が高いものは価値も高く、値段が低いものは価値が低い。値段がそこそこなのに良さそうなものは「コスパが良い」とされる。いずれも共通しているのは「値段」という尺度だ。

それで良いのだろうか、と常々思っている自分でさえ、数字のトリックに騙される。

マーケット、商品主義というのは、なかなか手強い相手だ。もっと価値の判断基準を磨かないと。日々刷り込まれていく「値段」という強敵に、少しでも対抗する術を身につけたい。