燃え尽き症候群とバーンアウト(ふつうエッセイ #710)

燃え尽き症候群に、時々かかる。

いま、かかっている。僕以外の皆さんは、燃え尽き症候群にかかることはないだろうか。

おそらく「バーンアウト」という言葉から、燃え尽き症候群という言葉が生まれたのだと思うが、和訳はあまり適切でないと思う。

「症候群」という言葉が気持ちの問題のような意味を含むからだ。もちろん気持ちの問題でもあるのだが、実際のところ心身ともにバーンして、アウトするのだ。(公開前に調べたら、そもそも「Burnout Syndrome」という言葉なんですね。無知でした)

特に日本では「燃える」という言葉がポジティブな形で使われることもある。しかしアウトドアを経験した人間なら、燃えたものは、時間を経て灰になる。燃え尽きると丁寧に言葉を添えるまでもなく、尽きて灰になるのだ。

だから、あまり燃えない方が良い。

燃える=やる気を出す、という意味なら、やる気なんて出さない方が良い。イチロー選手のように(あくまで比喩です)、淡々と打席に立ち、変わらぬルーティンを意識しながら、一つひとつ仕事に打ち込むべきなのだ。

そんなことを言っている僕も、ちゃんと燃え尽きてしまっているのだから説得力はない。説得力はないけれど、バーンアウトを言語化する必要が、いまはあると思ってこの駄文を記している。

バーンアウトは危険だと、バーンアウトしてから実感するのである。バーンアウトが、早いところアウトしてほしいものだ。