人をダメにしたって……(ふつうエッセイ #691)

1年半くらいの周期で、無印良品の「体にフィットするソファ」がほしくなる。

以前あれが我が家にあったとき、とても心地良かったのだけど、スペースの問題等もあって、しばらくは購入していない。

こうやってスマホを持ち、文章を打ち込みながら「ああ、無印良品のソファがあればなあ」と嘆いている。自宅で、枕をふたつ重ねて壁に寄りかかっている。枕は寝るための枕だ。寄りかかるためにあるのではない。ましてクッション性を疑似的に高めるために重ねて置かれるなんぞ、枕にとっては不本意極まりないだろう。

ダラっとしたい。

ダラっとするために、日々仕事を頑張っているわけではない。家ではほぼ酒を飲まないので、晩酌を楽しみたい欲もゼロだ。シュッと背筋を伸ばして健康的に生活し、長めの風呂に入ってストレッチしてから深い眠りにつく。それが理想なのだけど、心のどこかでダラっとした時間を求めている。

無印良品のクッションは「体にフィットする〜」と命名されているが、一般的には「人をダメにする〜」と言われている。本当にその通りだと思うけれど、それではあまり体裁がよろしくないのだろう。

でも、ダラっとしたって良いし、刹那ダメになったって良いじゃないか。政治家もアスリートも好感度ナンバーワンタレントも、時に間違いを犯す。それが人間というもので、いやもちろん間違いなんて犯してほしくはないけれど、ある程度のヒューマンエラーなら許容して僕らは生きてこれたはずなのだ。

ダラっとさせてくれ。堕落させてくれ。

そうか、そのためにロックフェスとか、快楽性の高いイベントが存在するのだ。需要があるのだ、「人をダメにする」ものっていうのは。需要というか、中毒性というか。

って、ここまで書いたものを読み直したら、全然筋が通っていないことに愕然とする。

冷静に考えると、ただモヤモヤしているだけなのだ。フジロックに行けなかったことを。