マルチの誘惑(ふつうエッセイ #690)

マルチタスクが苦手だ。

というか、人間はマルチタスクに向いていない。向いている、得意だという人も、それほど高いパフォーマンスができているわけではないらしい。「そうらしい」と広く言われつつある言説を頼りにエッセイを書き出してみたが、とはいえ世の中的にマルチタスクは社会から要請され続けているだろう。

だってまず、仕事と育児の両方をやれと言われるじゃないか。いや、それ自体は別に良いのだけど、マルチタスクっぽく感じないように、このふたつをバッチリと切り分けてもらうことはできないだろうか。「あー、仕事が終わらん!迎えに行かねば!」なんて感じの悲鳴を(心の中で)何度叫んだことか。なんかうまい仕組みはないだろうか、と思いながら、息子は来春に小学生になってしまう。

ふたりの息子は、実にシングルタスクに励んでいる。ザリガニを探すときはザリガニだけを探している。プール遊びのときはプールのことだけを考えている。

逆に食事は気もそぞろだ。本当にお腹が空いていたり、大好きなメニューが出ていない限り、彼らはぼんやりと食事に臨んでいる。本当は遊びたいのだ。さっきまで遊んでいたことに夢中なのだ。

子どもがマルチタスクを要請されるようになるのは、中学生くらいだろうか。やれ部活だ、やれ勉強だと忙しい。高校受験も、5科目をこなさないといけない。いや国語も数学も英語も理科も社会も大切なんだけど、いきなり「これ全部良い点とれ!」ってのは、なかなか乱暴である。何かに特化したい人だっているだろうし、むしろ特化した方が深く学ぶチャンスになるのではないだろうか。

……とここまで書いて気付いたけれど、でも実際僕は、マルチタレントに憧れている。あれもできる、これもできる、ということではなく、あれもこれもに挑んでいる人が好きなのだ。大谷翔平さんはすごいと思うけれど、色々な顔を持つ / 持とうとしている滝沢カレンさんでありたい。そんな感じ。

マルチタスクは苦手だけど、会社を創業して、ひととおり経理業務に触れたことで、「ああ、お金ってこんなふうに回っているんだな」という実感も得ることができた。これは会社に勤めているだけでは、なかなか分かり得ない考え方のように思う。

でもこれも、マルチタスクが社会から要請されて、僕がまんまとマルチの誘惑に乗っているだけなのかもしれない。僕の価値観は誰が形成したのか。それもまた興味深いイシューである。