ポツポツ(ふつうエッセイ #660)

朝イチで息子の通院を済ませ、いつもより少し遅い時間にコワーキングスペースに向かう。

小雨ともいえない雨が降る中、何人もの保育士さんが「これからどうしようか」というような顔で空を見上げていた。降るなら降れ、降らぬなら降るな。今年は梅雨にもかかわらず雨の日が少ないけれど、機会が少ないとはいえ雨は雨。これくらいの天気だと、保育士さんは一番困ってしまうのかもしれない。

本降りになる前に、僕もコワーキングスペースに到着しなければならない。ペダルをこぐ足も強くなる。

そんなとき、頭に浮かんだのは「ポツポツ」というもの。小雨ともいえない雨、雨が落ちる音を表現するのに、ポツポツは一般的ではある。

しかし、いつどこで誰が「ポツポツ」なんて言い出したのだろうか。それをいったら「ざあざあ」とかも同じかもしれないけれど、「ポツポツ」はさらにクリエイティブな感じがする。「ざあざあ」は確かに「ざあざあ」という音がするけれど、「ポツポツ」は実際には「ポツポツ」という音はしない。「ポツポツ」という音がするような気がするだけだ。

状況によっては、「トントン」なんて小雨を表現することもあったかもしれない。「ポッポッ」とか、鳩の鳴き声のような表現もありえたかもしれない。

でも、ある日突然、「ポツポツ」が生まれ、世の中的に、小雨の音は「『ポツポツ』でいこう」と合意形成がなされたのだ。考えてみれば不思議なものである。

大学生のとき、形容詞に「クッソ」という副詞を添えるのが所属しているサークルの中で流行った。僕の同級生が好んで言い始め、気が付けば後輩全員が「クッソ〜〜」と言い出すようになったのだ。

僕は意地でも「クッソ」と言わなかった。なぜなら「『めっちゃ』で良いじゃん」と思ったからだ。「めっちゃ」は滅茶を崩した表現で意味がある。でも「クッソ」は糞であり、それが形容詞を強める意味にはならないではないか。

しかしそんな正論とは別にして、言葉は意味を持っていく。

昔から識者は、日本語が崩れていくことを悲観的にとらえていたし、僕もわりと言葉に関しては保守的な方である。でも日本人は、かつて「ポツポツ」という言葉を生み出したのだ。「ぽっと出」とかもそうだけど、なぜ半濁音を「ほ」に重ね、意味を持たせたのかイマイチ分からない。分からないけれど、「ポツポツ」も「ぽっと出」も、もはやそれ以外の言葉で代替することが不可能のように思える。

世の中のあらゆる現象は、正論だけでは語れない。そのことを僕は、「ポツポツ」から学んだ……。というのは、ちょっと大袈裟かもしれませんね。……って、「ちょ」って何だよ、「ちょ」って!