苺のミルフィーユ(ふつうエッセイ #322)

MacBookさえあれば、ほとんどの仕事は事足りる。

取材で外出する機会も多く、喫茶店で仕事をすることもしばしばだ。先日入った喫茶店、少しでも気分良く仕事をしようと窓際に座った。商店街を行き来する人たちを眺めながら、原稿に集中する。

……と思ったのだが、目の前に飛び込んできたのは「苺のミルフィーユ495円」という看板だ。向かい側にある喫茶店で、ちょうど目線の先に苺のミルフィーユを紹介しているのだ。なかなか美味しそうな画像も貼られており、思わず食べたくなっていた。

だけど、ちょっと品がないのではないか。

同じようなことを逆にされたら、店側も気分は良くないだろう。客だって、せっかく入った喫茶店で一息入れていたのに、苺のミルフィーユを見せつけられるのだ。意識はどうしても苺のミルフィーユに向けられてしまう。

喫茶店にいて、別の喫茶店の広告を見せられる。

TBSの番組を観ていたら、フジテレビの番宣を見せつけられるようなものか。ちょっと違う気もするけれど、その一線は、どの業界でもかろうじて守られているように思える。

……不思議なもので、苺のミルフィーユへの憧憬・渇望は、いまではすっかり消えている。一度広告を見たからといって、購入というアクションにはつながらないということだ。

倫理観を守りつつ、企業は公正な競争に臨んでもらえたら。まあ少なくとも、喫茶店ではただただのんびりさせてもらいたいものだ。