チャーハンは万能だ(ふつうエッセイ #182)

子供のころ、父がよくチャーハンを作ってくれた。

今でこそ料理が得意な父だが、20〜30代のときはそれほど台所に立つことはなかったと記憶している。それでも僕の両親は共働きだったから、必要なときには何かしらのご飯を作ってくれた。

その中でも、圧倒的にチャーハンが多かったような気がする。味はもう忘れてしまった。だが今、僕も子どもを持つ親になって、父がチャーハンを作っていた理由がよく分かるようになった。

チャーハンは、万能なのだ。

とにかく簡単だし、ご飯さえ炊いてあればすぐに作ることができる。野菜を適当に散らしても、極端に味が落ちることはない。(仮に味が悪くても、調味料を付け足せば調整がきく)

頻繁に作ると飽きられるけれど、子どもたちもむしゃむしゃ食べてくれる。

僕が好きなのは、強火で炒め終わった後に、フライパンに醤油を注ぐときだ。「ジュー」という小気味良い音が鳴り、焦げたような匂いが食欲をそそる。

作るのが簡単だとはいえ、チャーハンは奥が深い。

できれば卵はパサパサにしたい。調味料を入れすぎないちょうど良い塩梅を目指したい。食べてくれる人にむしゃむしゃ食べてほしい。

中華料理屋さんのチャーハンは、やっぱり美味い。

調理器具が違うせいだろうか。鉄板鍋は、それはもう豪快に素材を混ぜ合わせる。チャーハンにおける「混ぜる」は、よほど重要なのだろう。

でも、できれば家でも、中華料理屋さんのようなチャーハンを作りたい。完璧なチャーハンを、作りたい。「美味しいね」と子どもに気を遣わさせず、ただただ無言で完食してしまうような、完璧なチャーハンを。

奥が深い。だからこそ、探求したくなる。

思考と一緒だ。そして仕事でも、そうありたい。

いつまでも探求できる仕事に、出会えたなら幸せなことだろう。