いつから成人式が(ふつうエッセイ #131)

長瀬智也さんが主演を務めた「Days」というテレビドラマが好きだった。

放送されたのは1998年、僕はそのとき中学生で、そのときは成人になることなど想像もできなかった。新成人を迎えた彼らが、日々葛藤を抱いている姿に驚きを感じたし、だからこそ今のうちから力を蓄えようという気持ちにもなった。

新成人というのは大人である一方、未熟さもまとった子どもである。

中学生にしては、なかなか冷めた見方かもしれないけれど、ドラマに出てきた新成人は、それくらい危うさを帯びているように見えたのだ。

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ドラマの1話目に、長瀬さんが演じた鉄哉が参加した成人式のエピソードがあった。

中学を卒業した鉄哉は、親元を離れ東京で生計を立てている。同僚とともに東京の成人式に参加するが、見知らぬ他人の振袖を破ってしまうなど散々な思い出になってしまった。

それが縁で、中谷美紀さん演じるまゆみと恋人になるのだが、成人式そのものには、何となく「情けない」イメージを持ってしまった。

だんだん歳を重ねて分かったことだが、成人式はそれなりのコストと手間が発生する。僕はスーツで済ませたけれど、住んでいた神奈川から移動しないといけなかったし、なんやかやセレモニー的なものに参加するのは気疲れしてしまった。女性はそれなりに着飾っていたわけだけど、なかなかコストと手間がかかるイベントといえるだろう。

そのコストと手間は、参加する意義と釣り合うのだろうか。

「釣り合わない」と思っているのが、僕の個人的な見解だ。

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さて、コロナ禍の影響が長期化している。

その余波を受け、成人式は2年連続で延期または中止になっているところが多い。

もちろん僕だって「参加したかった」と悲しむ新成人を見れば心が痛むし、彼らのために小規模でも良いから開催してほしいという思いは抱く。

その一方で、いつから成人式は、参加を熱望されているイベントになったのだろうか。

同じ時間を過ごした仲間と集える機会……ではあるものの、今やSNSでいつでも繋がれる時代だし、オンラインでいつでも話すことができる。

なんというか、僕が大学生だったときには、一定の割合で「成人式なんてかったるいから行かない」という人たちがいた。彼らはちょっとしたアウトサイダーな存在で、儀式的なイベントには参加せずに二次会から合流し、成人の日を楽しんでいた。

見方によっては、フレキシブルな対応とも言える。

成人式に参加するかしないかは、個人の判断で良いと思う。参加する理由、参加しない理由がなくても構わない。ロジックで語る意義のあるイベントだとも思えないから、「なんとなく気分が乗らない」くらいで欠席したって良いかなと思っている。

だけど世間には「成人式は行かせてあげたいもの」という空気がある。これって、いつから生まれたのだろうか。成人式自体は大したイベントではない。公式に成人式が開催されなくとも、同級生たちが個別で集まれば良いだけの話ではないか。(まあ、成人式が集まる「口実」になるのは確かだけど)

「かったるい」という感覚は、かなり個人的なものだ。

コロナ禍で「かったるい」さえ失われて、同調的に、同じ方向に気持ちが寄っていく方が怖いと僕は思う。

成人式に恨みはないけれど、「かったるい」という感性は大事にしたい。