五月雨(ふつうエッセイ #633)

物事がだらだらと続くことを「五月雨」という。

五月雨は梅雨を表す言葉だが、なぜか「五月」らしい。暦の問題かもしれないが、とかく五月が終わるタイミングで、五月雨のことがふと頭に浮かんだ。

五月病とか、五月という素晴らしい季節にネガティブな状況に陥るジレンマは、僕にだって経験がある。とても苦しいものだ。無理やり五月に絡めるならば、春と夏の間に特有の寒暖差だろうか。最高気温と最低気温が20度近く違うこともある。昨日はめちゃ暑かったのに、今日はめちゃ寒い。花粉症は落ち着いてきたが、そりゃ風邪もひくだろう。(我が家も、ふたりの息子はちゃんと風邪をひいた)

仕事は、五月はあっという間に過ぎてしまった。

「これは月内で終わるだろう」という仕事の一部は、積み残したままだ。納期がアバウトだからといって、ズルズルと後ろに伸ばして良いわけはない。ちゃんとやれるときにやらないと、後で痛い目に遭う。何度も遭ってきたじゃないか。

考えてみれば、そうやって五月雨式に、ズルズルと仕事が後ろに延びて、また新しい仕事が入ってそれも後ろにズルズルと延びていく。

この負のループを止められるのが、世にいう「優秀な人材」というやつだろうか。

優秀な人材に、五月雨など存在しない。でも、しとしと降る雨の音を聞きながら、仕事するのも案外悪くないんだよな。優秀じゃないからこそ、梅雨を愛でる。それもまた、ひとつの価値観なのだ。間違いなく。