思わぬ発見(ふつうエッセイ #610)

仕事をしていると、思わぬ「発見」にめぐり会うことがある。

あの人とあの人が繋がっていたんだ!とか、高校生のアイツが取締役に就任したんだ!とか。

SNSというネットワークだけでは到底見出せない「流れ」のようなものが、現実には、そこかしこに溢れている。

思わぬ発見は、その瞬間「!」の驚きが伴うものだ。通常のルートで情報を得るよりも、なぜか嬉しさが倍増する。なぜか、と書いたけれど、なぜなのだろうか。

世の中、希少価値と呼ばれるものがもてはやされている。Facebookの「共通の友達」は、今や当たり前のように可視化されてしまったけれど、現実の可視化されていないつながりは、それ自体に希少性があるのではないか。

昔は、そんな思わぬ発見がたくさんあったように思う。雑誌なんてまさに「雑」な情報の宝庫であり、全く聞いたこともなかったアーティストを、好きなインタビュアーが取材しているからという理由でタワレコで視聴。めちゃ面白いじゃん!ということで、衝動的にCDを買っちゃうみたいなことがあった。これもまた思わぬ発見である。

今は、どこか予定調和があるというか、「まあ、そりゃそうだね」というような納得感がある発見が増えているように思う。確かにAIによってレコメンデーションされた情報は、ハズレがない。衝動的に買ったCDは、そのときは面白い音楽に聞こえるのに、家に帰るとしょんぼりするようなハズレに様変わりすることもあった。それに比べれば、「コスパ」は上がったのだろう。

でも、どこか物足りない。

そんなムムムを抱えながら、「思わぬ発見」の機会をいつもうかがっている。そのためには、とりあえずコンフォートゾーンから飛び出さなくちゃなあ。