目覚めの良さ(ふつうエッセイ #607)

時々、原因不明の「目覚めの良さ」に出くわすときがある。

目覚めが良いなら良いじゃないか、と思われるかもしれない。実際、そんな「目覚めの良さ」を経験した朝は、ラッキーだなと思う。だけどちょっと気持ちが悪いのは、どうすれば「目覚めの良さ」を再現できるのか不明だからだ。前日22時に眠りについても朝起きられない日がある一方、たらふく酒を摂取したのにスッキリ目覚めるときもある。睡眠の質なのだろうか、よく分からない。

朝は、なるべく日光を浴びたい。そして、りんごでもバナナでも良いから、ちょっとしたものを腹にいれて空腹を紛らわせたい。空腹のままコーヒーを飲むと、ちょっと身体に悪い気がする。

そんな朝に仕事をするときもあれば、観たいと思っていた映画を観るときもある。のんびり洗濯物を畳んでいたら、あっという間に家族が起きる時間になるということもある。

目覚めの良さが、1日の生産性向上に寄与するかは、その日次第だ。でも別に、それでも良いと思っている。別に「仕事を早めに終わらせる」ために、早起きしたいわけではない。どんなにのんびりしていても、それはそれで意味があると思っている。

目覚めの良さ、それを追求するのはなかなかに困難である。それはたぶん、早く起きても遅く起きても、1日は変わらず、何かしらの意味を持ちながら進んでいくからだ。まあもちろん、できれば6時前に起きられるようにはしたい。「たまたま」でなく、「コンスタントに」起きることができるよう、今夜もサクッと眠りたい。目覚めの良さと同じくらい、良い夢を見たいものだ。