キルギスとモルモット、偉人でない僕(今井峻介さん #1)

待ち合わせ時間までまだかなり時間があったので、イシク・クル湖に散歩に出かけた。

湖畔の静かな景色と遠くに見える天山山脈の雄大さでは補えないくらい、イシク・クル湖の周りは寂れていた。いや、寂れていたというと語弊がある。

旧共産圏の国になんとなく漂っているあの空気感をどう表現したらいいだろうか。人よりもシステムとしての都合を優先するような無機質な冷たさ、その無機質さを隠そうともしない横柄さ、それを受け入れるしかない不自由さ。そういったものを感じさせる景勝地。地元の人にとっては当たり前のことなのかもしれないが、外来生物の僕にとってはなんとも過ごしにくい場所だった。ここでどうやってくつろげばいいのだろうか。

どう過ごしていいかわからない湖畔の砂浜には、金属製のベンチがぽつんと置かれていた。背もたれにハートの型の装飾があり、座面の板がなかった。

さて。

あなたは今「愛を語ってくれませんか」というテーマのエッセイを読んでいる。それなのに、なぜ行ったこともない国で知らない人とご飯を食べようとしている話を読まされているのか、と不思議に思っているかもしれない。これは一体何なんだと。

その気持ちはよくわかる。まったく同意である。これは一体何なんだと僕も思っている。

僕も書きたくて書いてるわけじゃないのだ。この話を書かないと話が先に進まないので、書くしかなくて書いているのだ。そして、まだ書かなければいけない。

「何かを伝えることはときに誠実さを犠牲にし、ある種の不自由を生む。しかし、そうやってでしか伝わらないものがあるのも真実なのだ」

そんなことを過去に偉人が言ってくれていたらいいのに。偉人が言うとどんなことでも大体の人は納得する。今の僕を援護するための偉人を用意していなかった世界は怠慢なのではないか。どこか間違っているのではないか。そんな世界を、しかし僕は許さなければならない。

と、これくらい混乱している僕の心情を慮って、もう少し付き合ってほしい。

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