どうか、春のままで(ふつうエッセイ #226)

初夏の陽気が一転して、肌寒い週末。

衣替えしたのに、慌てて冬物を引っ張り出した人も多かったのではないか。

ようやく東京都内は暖かさを取り戻し、30分ばかり自転車を漕ぐと汗ばむほどに。思い切ってハーフパンツを履いてみたけれど、いささか、やり過ぎだったかもしれない。

都心でも、まれに5月に雪が降る。

降雪は珍事として認定されるが、多少気温が下がることは珍しいことではない。

だけど、どうか、春のままで。

冬のキリッとした寒さが懐かしくはあるが、そろそろTシャツ1枚でカラッと過ごしたいのだ。

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ハーフパンツを履いている、と書いた。

少し後ろめたい気持ちを感じているのは、世間がまだハーフパンツを履いていないからか。それとも季節外れを無意識に自覚して居心地が悪いだけなのか。まあ、もう履いてしまっているのだから仕方がない。(ちなみに靴下を着用した上でサンダルを履いている)

それはそうと、夏には感じられない、ハーフパンツを履くことの効用に気付いてしまった。

効用という表現が適切なのかは分からないが、未だ残る冷気が、肌を刺すことに伴う爽快感がたまらない。いまはコワーキングスペースに座ってキーボードを叩いているが、本音を言えば、仕事を放り投げて街を歩きたい。何なら小走りをしたい。ミュージック・ビデオを撮られる女子高生のように、颯爽と。

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村上春樹さんは、著書『走ることについて語るときに僕の語ること』の中で、ハーバード大学の女子大生がポニーテールを揺らしながらランニングしていた姿を描写した。

人生において、負けたことよりも勝ったことの方が多い彼女の誇らしげな姿に、作家として経験豊富な村上さんが抱く感情は、なんだろう、蔑みとも羨望とも言えぬ、心の揺れが見てとれる。

ミュージック・ビデオを撮られる女子高生と書いたけれど、それが世間がイメージしているような颯爽をまとう女子高生だけとは限らない。鬱々とした日々を過ごしている人もいるだろう。イメージで語ることの恐ろしさというか、底の浅さを露呈した僕自身の思考に、ちょっとだけ、うんざりする。

でもバックスペースでテキストを消さないのは、ハーフパンツを履いて街を歩いたことによる爽快感が残っているからだ。

今日だけは、底の浅い自分を許しても良い。

だから、どうか、春のままで。

いつになく寛容な自分を、その気分を、もう少しだけ味わっていたいから。

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