時間というのは、容赦なく流れていくものだなと思う。
当時26歳で、ほとんど無力だった僕は、干支をひと回りした現在地に立っている。
12年前の、あの日。
当時、浅草にあるグループ会社で打ち合わせをして(たまたま上司が別件で用事があったので、ひとりで商談を行なった)、帰りに乗った地下鉄で、東日本大震災が発生した。
地下鉄も揺れた。当時、地下鉄には電波が届かず、何が起こっているのか全く情報が入ってこなかった。電車のアナウンスで、東北地方を中心に震度6強の地震が起こったという情報だけが流れてきたけれど、何が起こっているのか分からずに、30分の足止めを食らったのだった。
停車した電車は動いたものの、次の駅で停止することになった。それで「とんでもない」ことが起こっていると分かった。僕は10kmの道のりを歩いて会社に行き、間もなく、会社では何もするべきことがないと分かり、また20kmの道のりを歩いて横浜の自宅へと戻った。僕にできることは、Twitterでの情報収集と、関係各所の安否確認だけだった。
ボランティアに行っても迷惑なだけ。
そんな話も耳にし、何をすべきなのか分からなくなって、しばらく途方に暮れていた。ただただ自粛モードに乗ってしまったが、あのときほど、自分が無力であることを実感したことはない。
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確かこんなテキストは、何回かnoteやブログでも書いた。
また同じエピソードを書いていることは自覚しているが、同じことも、何度も繰り返し書かなければならないと思っている。あのときの無力さを思い出し、どうにか救われたこの生命を、大事に使わなければいけない。
12年前の、あの日。
それは、あの日から12年後のいま。ということでもある。
まだまだ無力だ。世の中への影響力はないけれど、あのときよりは少なくとも「やってやるぞ」という覚悟が備わっている。たぶんそれは、成長という言葉では不適当だ。それなりの成熟した考え、という意味合いの方が近い。
自分にできることは何だろうか。
それを、少なくとも1年に一度、思い出すチャンスでもある。
しっかり生きる。もう一回、自分の人生を見つめる日なのだ。