ごゆっくりどうぞ(ふつうエッセイ #551)

それって、本心で言ってますか?

と思ってしまうことがある。今日、乗り換えで時間があったので、駅そばを食べた。食券を買い、3分も経たないうちに、熱々のかき揚げそばが出てくる。乗り換え時間があったとはいえ、次の電車の出発まで15分ほど。駅そばのスピード感ほど信頼できるものはない。

ただ、そばが出されたときに「ごゆっくりどうぞ」は嘘だと思う。いや、きっと本心で言ってくれていると思うのだけど、駅そばのようなファストフードの肝は回転率のはずである。1時間に何回転させることができるか、徹底するためのオペレーションには一切の無駄がない。

「ごゆっくりどうぞ」。

ゆっくりされたら、回転率が低くなる。ゆっくりなんてされたら、たまったものではないはずだ。

じゃあ、何と言うのが正解だろう。

例えば、「熱いうちに召し上がれ」とかはどうだろう。ちょっとお節介だろうか。でも、熱いうちに食べてもらうことで回転率は高くなるはずだ。

あるいは、「へい、お待ち!」とか。これは言う人を選んでしまうだろうか。江戸っ子じゃないと厳しいかもしれないが、食事を待ってくれた方への感謝ということで、非常に丁寧ではある。

いずれにせよ、「ごゆっくりどうぞ」に疑問を呈する、自分の感覚に嫌気がさすのも事実だ。「ごゆっくりどうぞ」は、気持ち的にはホッとするひと言だ。実際は10分も席についていないかもしれなけれど、ようやく温かいご飯に巡り会えた喜びを、後押ししてくれる。優しい言葉じゃないか。

でも僕は、いつか油淋鶏専門店を開きたいからなあ。

そのとき、店のマニュアルとして「ごゆっくりどうぞ」で良いのかは、なかなか葛藤せねばならないだろう。その「いつか」の日までに、良い言葉を探しておくことにしよう。