「焼肉」の訴求力(ふつうエッセイ #536)

近所に、行ったことのない焼肉屋がある。

町の食堂っぽい店構えで、外から店内を覗くと、おやっさん(おそらく店主)が店を切り盛りしている。リーズナブルな値段ということもあり、いつか行ってみたいなあと思っている。

今日はちょっとした用事もあり、店の前を3回通った。遠目から、看板で「焼肉」という文字がみえる。

そのときに思った。「焼肉」って、なかなか強い訴求力を持っている。

外食を検討するとき、おそらく焼肉というのはポピュラーな選択肢だろう。好きな食べ物で、焼肉を挙げる人は少なくない。字面だけ見れば、「肉を焼く」という、そのまんまのメニューである。もちろん肉には色々なバリエーションもあるし、焼肉には秘伝のタレもセットである。だが、名称として使用されている焼肉という文言は、多くの人の心に「絶対に美味いもの」として焼き付いている。

これが、油淋鶏(ユーリンチー)だったら、そうは行かない。バリッとジューシーな油淋鶏の味は、たまらない。ネギソースも絶品だ。僕も好物のひとつだけど、中華料理屋に行かない限り、油淋鶏のことを思い出すことはない。

焼肉と油淋鶏。どちらも美味しいけれど、普段、ごちそうとして想起されるのは焼肉の方だ。

肉を焼くだけなのに。そのパワーは揺らぐことはない。

……ただ、こうやって詳述を試みると、油淋鶏の魅力も捨て難い。なんで油淋鶏は、ごちそうとして想起されないのだろうか。

こうなったら、僕が油淋鶏専門店を作るしかないと、ひそかに野心をたぎらせるのである。