アルコール、アルコホール(ふつうエッセイ #112)

昨日に続いてどうでも良い話ですが、アルコール(alcohol)のことを、ついついアルコホールって言ってしまいませんか?

そうですか、言わないですか。(ちなみに、英語の専門家でも、単語によって「h」がなぜ無音なのかは見解が分かれるようです)

言葉なんてのは、何かを伝えるための手段に過ぎないわけで。そこに「正しさ」なんてないというのが持論です。

もちろん何かを伝えるための手段ということは、相手に伝わる必要があるわけですから、多くの人たちが「正しい」と思っている意味合いに寄せていく必要はあるでしょう。

世の中には様々な人々がいますが、言葉という手段を用いれば、だいたいの意味が伝わります。手段に過ぎないと言いつつも、これって凄いことです。

ただ、ある程度クローズドな環境だったり、これくらいは「遊び」として誤用も許されるだろうなという状況下においては、あまり「正しさ」にこだわる必要もないと思っています。

スマホだろうがスマフォだろうが、どっちだって構わない。

本人が気にしなければ、ふじわらでもふじはらでも構わない。(本人が気にしなければ、ですよ!)

アルコールがアルコホールにならなかったのは、最初はアルコホールと言っていたのだけど「hがつくと発話しづらいよね」ってな感じで、だんだんとアルコールというようになっていったのではないか。僕は言語学の専門家でも何でもないので、ただの想像です。おそらく何かしらの正統な理由があるのだと思うけど、きっかけは、そういう些細なことだったりすると予想しています。

 些細なことは、もうそりゃあもう、些細なものだけれど、それらが積み重なっていくことで未来が変わっていくこともあるのであれば、その些細をポジティブに(あるいはネガティブに)感じられるようになるなあと思うのです。

なお、このエッセイはアルコホールなしで書いています。