言葉にこだわる人(ふつうエッセイ #457)

誰よりも、言葉にこだわる人でありたい。

といって、このエッセイでは表現の拙さが散見されている(のを自覚している)けれど。それでも、ひとりの編集者として、書き手として、誰よりも言葉にこだわっていたいのだ。

そのために、日々研鑽を積むための努力をしているが、それだけでは不十分だ。同じくらい、時間的な余裕が必要だと僕は思う。

毎日、忙しなく締め切りに追われるような生活では、どうしても視野が狭くなってしまう。マクロとミクロ、両方のレンズを行き来しながら、文章の強度を上げていく。

「それって、誰が読んでも納得できる?」
「お前の『主観』が混じり過ぎてやしないか?」
『そこに句読点がある(ない)ことで、読みやすさを妨げていないか?』

そんなことをチマチマと考え、練り上げる。

コンクリートをべっちゃっと塗りたくれば良いわけではない。ひとつひとつ、小さな染みや汚れを除きながら、丁寧に塗り重ねていかなければならない。

書き上げ、文章を衆目にさらした後で「ここの文章、誤字ではないですか?」と言われることもある。ものすごく悔しいが、その要因を探っていくと、日々のライフスタイル(習慣)に起因することが存外多い。

それは言い訳ではない。

そういったライフスタイルを選択しているのは、僕自身で。だから「努力が足りない」とは別次元で、僕に紐づく外的な重荷を、自らの責任のもとで減らしていかなければならないわけだ。

簡単なことではない。

少しずつ力を溜めて、生き抜いていくんだ。