一生理解できなくたって。(ふつうエッセイ #455)

38年間生きてきて、「これは理解できたぜ!」ってものは、何もない。

謙遜ではない。相対的に、他人より知識があることもあるし、実際に行動できることもある。だがそれはあくまで「比較」の話であり、まだまだ深く知ることができる余地はいっぱいある。

コンサルタントという職業も同様だと、僕は思う。

専門的な訓練を受けた人たちによってコンサルタントという職業は成り立つが、中には「この人は本当にコンサルタントと言えるのだろうか?」と思える人もいる。そういった例外は別にしても、どんなコンサルタントも、「あくまで他人と比べて」という前提は外せないだろう。コンサルタントよりも特定領域の内容を理解している専門家は山ほどいるのは、歴然とした事実だ。

極論を言えば、「知ったフリ」をして生きている人がほとんどだろう。

理解していなくても、理解したフリをする。理解できていないことを何とか取り繕って、その後で必死で調べて、知恵をつけていく。その必死さがない人は、たぶん「知ったフリ」の限界に追われて、その業界を去らなければいけなくなるだろう。(去らずに居座っている人も多いけれど、本質的には)

人間は、いったい何を理解できるというのだろうか。

理解したいという意思は持ちながらも、理解への道が果てしなく遠いことは自覚しなくてはいけない。才能ある人たちは、自らを「才能がない」と言う。全員が、一生理解できなくたって良いと僕は思うけれど、少なくとも僕は理解したい物事がいくつかあって。それを追求することだけは、諦めたくないと思うのだ。