Amazonから届く段ボール(ふつうエッセイ #688)

Amazonなしでは生活できない。

というのは言い過ぎだけど、ほぼ毎日、少なくとも1週間に一度はAmazonを利用している。妻も独立して仕事をするようになって、Amazonで仕事の必需品を揃えるようになった。ということで、毎日毎日、Amazonの段ボールが届くようになっている。

届いた段ボールは、もちろん捨てる。

今まで捨てた段ボールの量は、数にするとどれくらいなのだろうか。ひとつの家庭でも相当のものであり、同じマンションの住人、町内の人たち、区民、都民、国民、世界中の人たち……

と、段ボール使用に思いを馳せていくと、区民あたりで頭がパンクしてくる。同じ区に住む人たちだけでも、段ボール消費量はとんでもないことになっているはずだ。

清掃者で働く人は、ざっくりとその全容を掴んでいるのだろう。彼らには、僕らの生活がどんなふうに映るんだろう。

「環境に良いことを」なんて口では言っているのに、ゴミを出し続けている。彼らが一番、冷めた目で環境問題(に関わる人たち)のことを捉えているような気がしてならない。

メタバースで生きるようになったら、段ボールはなくなるのだろうか。そんな未来は想像できない。梱包というのは、はるか昔から存在してきたものだからだ。形は変えて、梱包は続いていくだろう。梱包の未来を想像しながら、今宵もまた、不要となった段ボールを捨てにマンションのゴミ集積場に向かうのであった。