「タッチ」の差(ふつうエッセイ #452)

物理的な意味で、世の中には「タッチ」の差で溢れかえっている。

ICカードによるキャッシュレス決済が当たり前になった。財布を出すのが面倒になり、大した金額でなければSuicaで「ピピッ」と済ませている。(そういえば「決済」って「決めて済ませる」って書くんですね)

タッチの差というのは、キャッシュレス決済するにあたり、微妙に読み取るのに時間がかかるものがあるよね?という提起だ。駅に設置されているリーダーは、何の問題もなく通過できるのだけど、とあるスーパーに置かれているリーダーはなかなか接触が上手くいかない。交通公共機関のリーダーは、SuicaやPASMOを専門に扱っているから反応速度が高いのかもしれないけれど、例えばセブンイレブンも良い感じで反応してくれる。

いずれにせよ、リーダーがちゃんと反応しないのは、ちょっとしたストレスになる。それは間違いなく「タッチ」の差でしかなくて、遅れが生じたとしても最長10秒程度なものである。人生に、大きな影響は及ぼさない。

高校生のとき、僕は7:23の電車に乗っていた。

32分後、7:55発の電車に乗り換えなければならないのだけど、それを逃すと「遅刻」が確定になる。僕は中学校のときは無遅刻だったのだけど、電車に乗ることがそもそもストレスだったこともあり、早々に「遅刻児」の仲間入りになってしまった。でも、思うのだけど、家が近いか遠いか、それらを加味せずに遅刻したら「遅刻児」扱いって、なかなか厳しいジャッジではないだろうか。

こういった「タッチ」の差で、他者の評価は結構決まったりする。

細部を疎かにしても良いわけではないけれど、もっと大事な指標というか、スタンスがあるんじゃないかと思わざるを得ない。

「タッチ」の差に、寛容でありたい。息子が眠りに就く時間が、22時だろうと22時10分だろうと、どっちだって構わないじゃないか。

そんなことを容認しているうちに、気付けば就寝に至るのが23時近くになったりするわけだけど。