機械だって、休みたい……はずだ(ふつうエッセイ #419)

我が家には食洗機がある。

リモートワークの生活が普通になって、朝昼晩と、食洗機を回す生活が続いている。

だけど、僕はたまに、食洗機を休ませるようにしている。せっせと自分で食器を洗い、食洗機に休憩してもらうのだ。

何を言ってるんだ。と思われるだろう。僕も書いていて、なんか変なやつだなあと我ながら思う。

でも、そうした方が良い気がするのだ。それは単にメンテナンス的な意味合いではない。物持ちのことを考えているのではなく、どちらかといえば良心によるものだ。毎日働かせてしまっている、ちょっとくらい休んでもらわないとバチがあたるよな、みたいなこと。

同じように、炊飯器も時々電源を切っている。前の日に食パンを買い、翌日に炊飯しないようにするのだ。

「良心によるもの」なんて書いたけれど、なんかちょっとズレている気が自分でもする。なんだろう。休みたい、それは、僕自身の願望の裏返しではないか。うーん、どうだろう。だから自分への罪滅ぼしのために、機械の方に代わりに休んでもらおうとしているのではないか。

機械は、僕自身の鏡なのだろうか。え、どうなんだろう。そんなこと、無意識で考え、勝手に想いを寄せているのだろうか。

疲れているときは、休んだ方が良い。

疲れていそうな人には、そう強く勧める僕だけど、自分の疲れには鈍感だ。「ちょっと休んだら?」って、言ってくれる人がいたら、すぐ好きになっちゃうだろうな。