お弁当 is good.(ふつうエッセイ #409)

先日、長男が遠足に行くというのでお弁当を作った。

まだ小さいので、息子たちにはそれほど行事があるわけではない。とはいえ、お弁当を作る機会というのは、時々あって。これまでは、早起きが苦手な僕の代わりに妻が作っていたのだが、そろそろ僕も作らねばという気持ちになった。前日から張り切って、買い出しなどの準備に努める。

当日は5:30に起床。6:00頃から弁当作りに着手する。

「キャラ弁」を作る気合いがあるわけもなく、可もなく不可もなくという感じでお弁当を用意した。おにぎりの具材くらいは、彼が好きなものを入れようと思い、たらこ、こんぶを詰めた。彼の好きな甘い煮豆も買ってきた。メインディッシュのハンバーグは、埼玉県のサイボクで買ってきたもの。こうして書いていると、なかなかの手抜き弁当である。

遠足は、とても楽しかったらしい。保育園に迎えに行き、彼の嬉しそうな様子に充実ぶりを感じる。

予想していたことだけど、お弁当の話題にはならない。こちらが「お弁当はどうだった?」と訊ねるまでは。(「たらこのおにぎりが美味しかったよ」とのこと)

それくらいで良い。それくらいがgood enoughとして設定されるのが、お弁当作りには合っている気がする。

長男や次男が成長し、高校進学したとしたら、毎日お弁当を用意しなければならないだろう。

そのときに、何かを期待しながら弁当を作っていては身が持たない。完食してくれたら、それでオッケーだろう。「美味しかった」なんて言葉を毎日期待してはいけない。(僕も高校時代、毎日弁当を作ってくれた母に感謝の言葉なんてかけたことがなかったわけだし)

美味しい、美味しくないは別にして、毎日完食してくれる。そして無事に家に戻ってくれる。それに勝る喜びはないはずで。それでも、つい「お弁当はどうだった?」って聞いちゃうような気がするのだけど。まあ、それもまた親のサガであり、務めのような気もするけれど。

……そういえば、なぜ高校には、小学校や中学校のように給食がないのだろうか。