みんな、口を持っている(ふつうエッセイ #407)

コロナ禍で2年半もマスク生活を送っていると、人間に口があることを忘れてしまう。

毎日僕は僕の顔を見ているし、自らの口を伝って食物は体内へと流れていくので、「そりゃ、コロナだからって口まで奪われることはないよ」と分かるのだけど、幾許かの実感を持って、自他に「口」が本当に存在するのか自信が持てないのだ。

マスクの中は、ただの「のっぺり」とした肌なのではないか、と。

そんなヘリクツを思い至ったのは、新宿を歩いていて、マスクを外している人たちの口を見たことだ。「あ!口がある!」それは新鮮な驚きだった。そんなことに驚いている自分にも驚いた。彼らは、実にバリエーションに富んだ口を持っていることにも気付き、また驚いた。

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口がない未来のことを、考えてみる。

口とは、なかなか厄介かつ複雑なものだ。口は、唇があり、歯茎があり、歯があり、舌がある。口から入った食物を通す門としての喉も必要だ。

僕は幼少期に矯正をしていて、歯に矯正器具を常時取り付けていた。たびたび痛みに苦しんだ。なんでこんな目に遭わなくちゃいけないのだろう。

同じように、老いたら歯がなくなり、それはそれで苦しい思いをすることになるのだろう。先日訪ねたサイボクのヒレカツサンドは非常に美味しかったが、それも食べられなくなるだろう。痛み、苦しみとは別の葛藤。それは考えてみれば、口という器官が衰えた結果起こる。手足などの感覚器は、代替手段によって日常生活に支障なく過ごせつつあるけれど、口のような複雑な感覚器は、なかなか代替まで至っていない。そもそも「自分の口の形が嫌いだ」といったコンプレックスを抱いている人もいる。

そんな「不十分」な感覚器をなくしてしまって、他の人工物で代替できるようになったらどうだろう。そんな妄想を考えてしまう。

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いずれにせよ、今のところ、みんなが口を持っている。

鼻や口をウィルスが通って、コロナウィルスに罹患している人が世界中にいる。まあそれはあまりに不幸な見方で、鼻や口の機能が高いからこそ、効率的に栄養素を吸収できているという側面もあるはずで。

みんな、口を持っているから生きているのだ。

口があるから、キスができるわけだし。なんてね。