ご飯があまる(ふつうエッセイ #406)

なぜ、こんなにもご飯は「あまる」のだろうか。

色々な事情がある。息子の口に合わないとか、みんながお腹いっぱいになるとか、シェアしたけれど忖度の結果食べないまま残されてしまったとか。

いずれにせよ、ご飯はあまるもので。

そして、あまりものを、僕はたいてい食べてきた。

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もったいない。

MOTTAINAIと、ローマ字に訳される前から「ご飯は残さず食べなさい」という決まりのようなものが、僕の中に色濃く根付いていた。別に両親が強く躾けたわけではない。僕の弟たちは、ご飯を残すことに対して執着はしない。

なぜか、僕だけが「ご飯は残さず食べなさい」という決まりを守ろうとしてきた。遵守、厳守。時々人との約束は破る僕だけど、それに関してはなかなかに厳しく自分を律してきたと自覚している。

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残してはいけないはずのご飯が、大量にあまるとき。

それはたいてい、外食時のこと。「一皿どれくらいなのか」を読み誤って、大量注文してしまった結果として発生してしまう。

レストランによって、あるいは食のスタイルによって、一皿の大きさは千差万別なのだ。親切にも「2〜3人前」と明記してある店もある。だけど、もうそういった指標というのは、なかなかアテにならない。当人にとって「ふつう」の一人前のサイズがちょっとでもズレると、その量は極端に多く(あるいは少なく)提示されてしまう。

不幸なことにそれが想定よりも多かったとき、ご飯は、大量にあまってしまうのだ。

外食先のご飯は、たいてい美味しい。しかし胃腸の限界を超えて食べるご飯は、一気に地獄の様相を呈する。

あっさりと、「ご飯残しても良いんですよ」と思えたら良いのに。普段の僕は、そんな意識をもたげることすら自分に許さない。そして結局のところ、次の食事にまで影響してしまうくらい食べ過ぎてしまう。

早く、自分を許せる人間になりたい。