喋りかけること(ふつうエッセイ #403)

2年半、自前でPodcastを続けている。

読んだ本について、感想を語るだけのシンプルなもの。ずっとラジオに憧れていて、何かできないかと思って始めてみた。

その直後から、一気に音声配信ブームが来たのには驚いた。一時期に比べるとブームは一段落し、今も続けている人は少なくなった。これくらいの雰囲気が、ラジオにはちょうど良い。YouTubeのように稼ぐためのメディアではない、メインストリームにならない立場をラジオ自らがわきまえているように思う。

音声メディアの良いところは、温度が伝わることだ。

それは話者だけではない。聞き手の温度も同様だ。僕はAnchorというプラットフォームを利用しているが、具体的に誰が聴いているのかは分からない。ざっくりとした属性や再生回数のみ受け取れるに過ぎない。

でも、何となくだけど「聴いてくれているんだな」という実感を持つことができる。聞き手の能動的なアクションがあるわけではない。「いいね」もない。たまにPodcastのことをシェアしてくれる人がいるけれど、だいたいは、ただ聴いてくれているだけ。リスナー。まさに聴く人たちだ。

聴く人たちがいるから、僕は喋りかけることができる。

ひとりで喋るのは孤独だが、いつしか孤独を感じなくなった。それは、聴く人たちがいて、それを確かに実感しているからだと思う。(もちろん喋りたいことがあるので、続けているという側面はあるのだが)

2022年8〜9月と、仕事が忙しくてPodcastを小休止した。今月から再開したのだが、温かく迎えてくれているのを感じる。

「よく戻ってきたね」

そんな声が聴こえる。喋りかけることは、喋りかけられることと表裏一体だ。そんな双方向の関係を、ずっと大事にしたいと思っている。