とある先輩とご飯を食べていたときのことを、ときどき思い出す。
「おれ、毎日テレビ東京の午後に放送されている映画を観てるんだ。全く興味のない映画も出てくるけど、観ているとタメになるよ」
そんなことを言っていた。
名称はときどき変わっているが、平日13時頃から放送されている「午後のロードショー」という枠のことだ。ラインナップは詳しく知らないが(結局、その先輩の教えには従わなかったのだ)、どちらかというとマイナーな「B級映画」と呼ばれる作品も取り上げられているらしい。
そのときは「(先輩、けっこうヒマなんですね……)」なんて思っていた。
当時は終電近くまで仕事をしていることも多く、とても毎日、平日の2時間を映画を観ることに費やすなんて考えられなかったのだ。
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その先輩は、残念ながら少し前に亡くなってしまった。
だからもう二度と話をすることはできないのだが、今になって、多感だったあの時期に、先輩の教えに耳を傾けることに意味があったかもしれないなと思うようになった。
「全く興味のない」というのがミソだ。
NetflixやAmazon Prime Videoのようなサブスクリプションサービスでの視聴が主流になってきた昨今、僕らが選ぶ映画は、何かしらの「おすすめ」の影響を受けている。家族、知人、SNSからの「クチコミ」も同様だ。全く無関心な情報に触れる機会はほとんどなくて、無関心だった領域に触れるためには自己研鑽しながら、半ば強引に、関心領域を広げていくしかない。
同じ枠のテレビを「とりあえず観る」ことによって、実は、半ば強引に取り組んでいたようなことがオートマティックにできたのかもしれない。「こんな作品、誰が観るんだろう」と考えながら、とりあえず2時間は我慢してみる。本当に駄作だと思うこともあれば(それが大半だろう)、思っていたよりも面白かった!という発見もあるだろう。
「おすすめ」に頼るだけでは得られなかったことを、実は獲得できたはずだのだ。
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しかし、そもそも、そういった目標設定は邪道なのかもしれない。
それは何というか、何かを獲得するための行為というより、自分という人間がどうあるべきかという所作に近い。
毎日、平日の2時間を費やす勇気はさすがにない。けれど、僕にずっと足りないものの「在り処」が、先輩の言葉には詰まっている気がするのだ。