牛乳が入っていたコップに麦茶を注ぐ(ふつうエッセイ #156)

以前は全く耐えられなかったことが、大人になると平気になることがある。

味覚というのはその最たる例で、昔は苦手だったものが気にならなくなることがある。進んで食べたいと思うことはないが、味覚の許容度というか、苦手なものに対して鷹揚に構えることができるようになる。

とはいえ、僕は幸いなことに、昔から苦手な食べ物がほとんどなかった。

ただ、牛乳が入っていたコップで麦茶を飲むことは、かなり苦手だった。本来透き通っているはずの麦茶が、牛乳と混ざることによって白く混濁する。牛乳の甘さが口の中に残り、飲んだ後のさっぱりした感じも失われてしまう。

そういったことがあまり気にならない人は、牛乳が入っていたコップに麦茶をなみなみと注いでしまう。

ああ……!っと声をあげる間もなく、麦茶は既に麦茶でなくなってしまう。今思えば、夏の風物詩と言えなくもなかったなと懐かしくなる。

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今は、牛乳が入っていたコップで麦茶を飲むことは何の問題もなくなった。

確かに味も見た目も変わるけれど、想像するよりもずっと麦茶なわけで、何にこだわっていたんだろうと不思議でならない。

味覚にも、繊細だった時期があったのだろう。

その遠い記憶は、牛乳が入っていたコップで麦茶を飲むことで蘇る。でもやっぱり、麦茶はきれいなコップで飲むのが一番です。