カップラーメンのカレー味が、カレーたらしめているものは何か?(ふつうエッセイ #199)

身体に悪いと思いつつ、カップラーメンを食すことがある。

昼休み、何を食べようか思案した結果「まあ、時間もないし安いからな」という感じで。食に対する意識が極めて低く、40代を間近に控えた身体に申し訳ないなという想いも当然あるのだが……。

そんなこんな、先日カップラーメンを食べようとしたとき、商品名に「野菜たっぷり」と表示されているのを拝見した。カップラーメンに野菜たっぷりなんて、どんなものかと買おうと思ったけれど止めた。(寒かったのでカレー味に)

普通に考えれば、カップラーメンに野菜など入っていない。野菜らしきものが入っているだけだ。

だけどおそらく消費者は、その商品に野菜っぽいのが入っていることをギリギリ認識するので、野菜たっぷりというネーミングが成立する。

「寒かったのでカレー味に」とも書いたけれど、カレー味のカップラーメンにカレー的なものを感じるのはなぜだろうか?まあ、カレー味のカップラーメンの場合は、カレー粉のようなものをまぶせば成立するかもしれない。でも、そもそもカレーとはなんだろう。いつも食べているバーモンドカレーのカレー粉は、非常にカレー的だし味も良いのだが、なぜ僕らはあれがカレーだと認識できるのだろうか。

言語学の領域に入りそうなので、いったん、ここまで。

おしりたんていは、おしりらしきものが顔になっている。そして丁寧に「おしりたんてい」という命名がされているので、「ああ、あれはおしりなんだな」ということが分かるけれど、冷静に考えれば、顔がおしりなんて意味が分からない。

意味が分からないけれど、意味を感じられるのは、人間の優れた特徴のひとつと言えなくもない。

だけど、ぬるっと、作り手側の作為に浸っていては本質を見誤るかもしれない。自分の感覚を大切にして、「あれ?これって正しいのだろうか」と疑ってみる。それこそが実は、批評の原点ではないだろうか。