永遠にたどり着けない場所と私だけの場所
先ほど引用した『物語のなかとそと 江國香織散文集』「所有する街」には続きがある。
たとえば私にとってニューヨークは好きな街だし思い出のある街でもあるのだが、それは、かつてビリー・ジョエルを聴いて憧れたニューヨークとは別の街だ。一度も行ったことがないままにくり返し想像し、色や音や情景や状況、つまり物語まで心のなかにつくり上げてしまった街に、人は決して行くことができない。
江國香織『物語のなかとそと 江國香織散文集』
行くことができないかわりに、でも、私はそれらの街を所有している。完璧な個人所有なので、私だけのものだ。おなじ本を読んだりおなじ音楽を聴いたりして、その場所に憧れた人がもし百人いれば、べつな街が百あることになる。
江國香織『物語のなかとそと 江國香織散文集』
わたしにとってのフィレンツェは、永遠に、絶対に行くことのできない、でも未来永劫わたしだけの街だ。
下北沢でのイベント後、静かに満たされた気持ちで私は店を出た。江國さんの特徴的で愛らしい直筆のサインが入った『冷静と情熱のあいだ』を抱えて。
夢に向かって情熱的に焦がれ続けていた時間と、その夢が叶った瞬間を至極冷静に感じていた時間の両方をまとって。
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