28歳、東京(鈴木ゆうりさん #4)

わたしは、コロナ禍の現在、東京で暮らしています。

東京はとても素晴らしい都市です。治安は整備されているし、大抵のモノは手に入るし、コンビニは24時間やっています。もし日本語が話せないとしても、世界トップレベルで生活のしやすい都市であることは間違いありません。

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それでも、ときどき、東京で生きるのが辛くなることがあります。

思いっきり肩からぶつかってきて舌打ちする人、変な人に絡まれても目を逸らされる状況、泣いてても誰も見向きもしてくれない大通り。
どうしてだか、言葉も文化も通じるはずのこの国で、誰も助けてくれない、ひとりで対処しないといけない。

他人に迷惑をかけてはいけない。

わたしたちが幼い頃から刷り込まれていたこの言葉は、わたしたちを律してくれることもあります。その一方で、わたしたちが誰かに寄り掛かることを許さない呪詛に変わり、真綿で首を締めるようにじわじわと余裕を奪っていきます。

この迷惑に対する“余裕”のなさが、わたしたちの日々を押しつぶして、息苦しくさせている気がします。

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わたしたちは恵まれていて、なんでも持っているはずなのに、どうしてこんなに焦燥を感じるんだろう。

困っているときに、助けてもらうことは誰だって嬉しいはずです。少しの気恥ずかしさもあるけれど、決してマイナスの感情を生む行為ではありません。わたしは、わたしがしてもらって嬉しかったことを、人にもしてあげたい。“想像力”を以って人に接したいし、“愛”を自分で生み出すのを尊く感じます。

そしてこの“愛”が循環することは、わたしたちの日々を幸せにしてくれるはずです。

わたしは、わたしのできるところから。もちろん小さな一歩ですが、受けた“愛”を還元するために、“想像力”を携えて生きていきたい。28歳、まだまだ人生の道のりは続きますが、健やかなるときも病めるときも、この気持ちは忘れたくないなあ、と心に留め、このタイピングを終えるとします。

*謝辞*

“愛”について、考えることなんてほとんどありません。日々の仕事に忙殺され、目の前の事象に対処するので精一杯。大切な記憶も年齢を重ねると共に、古いアルバムの写真みたいに色あせてしまうこともあります。

それでも、今回ご縁あってこのお話を頂きまして、深く“愛”について自らに問う貴重な時間を取ることができました。過去を読み返すことで、掠れていた記憶を鮮明に瞼の裏に浮かべることもできました。

人生で初めてのエッセイ、そして初めての連載ということもあり、右も左もわからない状態でスタートさせてもらいました。締め切りや文章に関して、とてもわがままを言った自覚は大いにあります。そんな中で、この機会を与えてくださった、そして繊細に夜遅くまでサポートしてくださったほりさんには感謝の念にたえません。

どうもありがとうございました。

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