そんな経験をしていく中で、わからないことがありました。
こうしてたくさんの人から“愛”を享受してきたけれど、なぜ彼らはこんなにも簡単に“愛”を与えられたのか。助けてくれた人の中には、わたしよりも手持ちのお金がない人もたくさんいました。残酷なことに、日本ではありふれているiPhoneを持つことも一生叶わないような暮らしをする人もいました。
ちなみに先進国に生まれる確率は15パーセント。遺伝子の宝くじには既に恵まれているのです。
経済的に恵まれているのだから自分で解決すればいい。わたしが彼らの立場だったら、そう考えてしまう気がする。
このふつふつ湧いた疑問を、問うたことがあります。
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2018年、キューバに渡航したときのこと。到着した当日に携帯を紛失したのを皮切りに、キリがないほど多くのトラブルに見舞われました。物資の調達に手こずったり、真っ暗な夜に道に迷ったりと、一日一回は半泣き状態に。けれど涙が溢れそうになるたびに、キューバの人に助けて頂きました。
社会主義国のキューバは、物資の供給がとてつもなく不安定です。いつも品切れなのに、スーパーは物資を求める人で溢れかえっていました。またネット環境もほとんど整備されておらず、Wi-Fiが使用できるのは高級ホテルのロビーか大きい公園くらい。しかも有料です。ネット社会に慣れきっている観光客が、速度の遅いWi-Fiに苛つきながら公園に屯している図をよく目にしました。先進国と比べると、生き易さには天と地の差があります。
それなのにキューバの人は底抜けに明るく、優しいのです。
「大丈夫?手伝おうか?」
その声に、はじめは少なからず警戒していたのですが、あまりにもそれが続いたことで、戸惑いつつも“愛”に身を委ねるわたしが存在していました。
ある日の晩、仲良くなった宿のオーナーにこの疑問を訊いてみることにしました。
オーナーは少し考える顔を作ったあとに、ゆっくりとしたスペイン語交じりの英語で答えをくれました。
「多分だけれど、生きてるから人に迷惑かけることも、人から迷惑をかけられることも当たり前だって考えてると思うよ。だから他人からの迷惑とか、自分のかける迷惑とかに対する余裕があるんだと思う」
人様に迷惑をかけてはいけない、と刷り込むように言われていた身に、とても考えさせられる言葉です。