暗闇で飲むビール(ふつうエッセイ #157)

昨日、味覚についてのエッセイを書いた。

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考えれば考えるほど、味覚とは不思議なものだ。人生に代え難い感覚だと実感すると同時に、どこか頼りにならない感覚だとも感じる。

例えば、暗闇で飲むビールの味。

なぜ、あんなにも美味しくないのだろうか。

苦い水を啜っているような、だったら飲まなければ良いのだが、暗闇であってもビールを飲まなければならない理由は間違いなく存在する。それは水や麦茶やノンアルコールビールであってはならない。

頼りにならない味覚を頼りに、密かに、今宵は記憶を忘却する。

ちなみにウィスキーの場合、暗闇であっても、ちゃんと味を伝えてくれる。ただ暗闇でウィスキーを飲むときは、暗闇でビールを飲むときと異なる事情を有さなければならない。この微妙な差異を取り違えてしまうと、取り返しのつかない虚しさのもとで眠りにつかなくてはならない。

頼りにならない味覚というのは、感覚が鈍ることではないらしい。

頼りにならない対象があることによって、少しでも自分自身を頼りあるものとして見做すことができるのだ。

複雑な世界、2022年2月9日も、間もなく終わりが告げられる。今日も、生き延びることができた。