なるほどですね。(ふつうエッセイ #140)

僕が社会人に入ったとき、「なるほどですね」が流行していた。

どの商談でも、取引先は誇らしげに「なるほどですね」と相槌をうつ。

2022年になっても「なるほどですね」は健在だ。当時社会人ではない方まで使っているので、脈々と受け継がれているのだろう。

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使っている本人にとっては自然だが、周囲にとっては不自然である言葉がある。良く悪いの話でなく、使い勝手が良いのだ。

最近だと、「〜〜だと思っていて。」というのが該当する。

ソフトに文章が完結しつつ、即、次の論旨に展開していく際に便利な言葉だ。「〜だと思っている」で終わらせると、反論の余地を許してしまう。文章が完結するのだかしないのだか分からないのがミソで、ねりねりと主張が補強されていく。そのリズムが癖になってしまうのだろう。

あまりに多くの人が使っているので、得意も苦手もないのだけれど、個人的には苦手だと思っていて。

会話とは、お互いが公平にターンを回すべきもののはずだ。しかし現実は、どちらか片方に偏ってしまうのが常だ。それを是とする言葉遣いや雰囲気は大小さまざまに混在していて、それが僕にとって「話すのが苦手」というコンプレックスの元になっている。

できれば、全員に公平な機会が与えられてほしい。

でも会話の中では、会話が上手な人たちが優位に立っていく。なるほどですね、コミュニケーション能力が重視されるのも頷ける。

どうにかロジック以外の余白も残しておいてほしい。そこにはコミュニケーション能力で劣位に立たされている人たちの希望が注がれているのだから。