何もかも分からないことだらけ(ふつうエッセイ #61)

ときどき、たいてい仕事が佳境を迎えているときだけど、その日がどんな感じで展開するのか分からないことがある。

完全に無計画で無鉄砲ではない人間だと自覚しているけれど、コントロール不能な物事が2,3重なることはあって。

20代、社会人になった当初は、何もかも分からないことだらけ。社会人3年目、主担当者として、新しいサービスをリリースするとき、色々な段取りが未知だった。マニュアルなんてなかったし、同僚に聞いても、良く分からない単語が却ってくるだけ。「ふんふん」と分かったような顔をして頷いたけれど、何にも分かっていなかった。よくこんな人間をフロントに立たせていたなと会社の度量の大きさに感心してしまう。

当時「何もかも分からないことだらけ」という状態なのは、僕自身の経験の浅さが原因だと思っていた。

だけど今も、ときどき同じような現象に陥ることがある。経験の浅さが言い訳にならない37歳は、いくつかの可能性を想定しながらも、頭の中をぐるぐると巡る厄介ごとをなかなか解消できない。

ああ、複雑だよなあ。ああ、面倒だよなあ。

何度もため息をつきながら「何もかも分からないことだらけ」をやり過ごす。

この調子だと、40代になっても50代になっても、あるいは60代になっても同じような感覚から抜け出せないのだろう。ああ、複雑だよなあと、また、ため息をついてしまう。

それでも、与えられた武器でやっていかなくちゃいけない。

時間もお金も有限。

使えるのは、自らのアタマだけ。

目覚めてくれ、潜在能力よ。おいらの力はこんなもんじゃない!

大人になるとは、理想と現実の間で折り合いをつけるということ。今日はどんな折り合いがつくだろう。願わくば、ポジティブな方向に傾いてくれると嬉しい。